第 1回検討会議
概要
会議名 第 1回学びの方針策定に係る検討会議
開催日時 2022年 7月15日(金曜日)午前10時00分から正午
開催場所 JPタワー名古屋37階(web会議と対面による会議を組み合わせた方式)
以下の内容について意見交換等を行いました。詳しくは、議事要旨、会議資料をご覧ください。
議題
○教育を取り巻く環境
(1) 新しい教育が求められる背景
(2) 本市の子どもを取り巻く現状
(3) ナゴヤ・スクール・イノベーションの取組と成果
○「学びのコンパス(仮)」骨子(仮)に対する意見交換
議事要旨
1 開会挨拶
2 構成員紹介
3 検討会議の設置趣旨説明
4 検討会議の進行
5 教育を取り巻く環境について
(1) 新しい教育が求められる背景
(2) 本市の子どもを取り巻く現状
(3) ナゴヤ・スクールイノベーションの取り組みと成果
6 「学びのコンパス(仮)」骨子(仮)に対する意見交換
7 事務局からの連絡事項
8 閉会
<資料>
資料1 設置趣旨説明書
資料2 今後のスケジュール
資料3 教育を取り巻く環境について
資料4 「学びのコンパス(仮)」の骨子(仮)
<議事進行>
1 開会挨拶
坪田教育長あいさつ
2 構成員紹介
各構成員自己紹介
委員の互選により、苫野構成員を会長に選出
3 検討会議の設置趣旨説明
〇事務局 資料 1について説明
4 検討会議の進行
〇事務局 資料 2について説明
5 教育を取り巻く環境について
(1) 新しい教育が求められる背景
(2) 本市の子どもを取り巻く現状
(3) ナゴヤ・スクールイノベーションの取り組みと成果
〇事務局 資料 3について説明
〇荒瀬構成員
成年年齢の18歳引き下げに向けて、子どもたちをどのような成年に育てていくか、子どもたちがどのような成年になりたいかに視点を当てたキャリア教育が大事である。また、教師が子どもの学びを支えていく、子どもの伴走者になることを、どのように実現するかという事も考える必要があり、その実現に向けて子どもの声を聴く機会をアンケートだけではなく、直接声を聴く機会をお願いしたい。
〇荒瀬構成員
どこに重点を置いて話をするのかといった観点から信頼のある苫野会長に会の進行をお願いしたい。今回の資料3の説明の中で「①個別最適な学び、②協働的な学び」とあったが、このような区分けは中教審の議論の中ではないため、情報を整理いただきたい。
〇久野構成員
これまでの教育はその時代や社会の要請に応じた内容から育まれたものである。一斉授業や形式的平等主義はこれからの教育にとって敵だと表現されているが、それらはその都度、時代や社会の要請に応じた取組みである。これまでの取組を排除する形で進んでいくことを大変危惧している。既存の教育に対しては、画一的な見方ではなく、色々な考え方があるということをスタートとすることを確認できるとありがたい。
〇荒瀬構成員
資料が内閣府や文科省から発出される資料の表面的な説明に終始しているため、改めて文部科学省、中央教育審議会、内閣府で行われた議論の内容について確認をお願いしたい。そのうえで、名古屋の状況にどう当てはめていくかを考えていくのがこの会議の趣旨と考える。
6 「学びのコンパス(仮)」骨子(仮)に対する意見交換
〇事務局 資料 4について説明
〇奈須構成員
学びの構造転換の中で、現状を変えていくといい形になるかというと案外難しいように思われる。既存の教育の中には、過年度から行っているからとの理由で続いている部分もある反面、そうなっている理由が担当者レベルでは分からなくても、実は意味があってうまくいっていることも多分にある。学びの構造転換として原理の違うものを足し合わせても、齟齬が出たり、木に竹を接いだような結果になる可能性もある。そのため、今回は全体を構造的に見直すということであると考える。
情景の意味は形、枠組み、方法、手順ではなく子どもの育ちの原理的なものだと思う。例えば、中華とフレンチは具体的な技法や仕上がりは異なるが、おいしい料理の作り方には素材のよさを殺さず、素材のよさを技巧によって生かし、その素材が全体に調和するといった原理はある。その一番原理的なものが何かということは大事である。子どもの育ちにおいても名古屋市全体で構造的に把握して内省し、先生方と共有できるとよいと考える。
学びの構造転換として原理ではなく、技法の形で教職員に共有すれば、主体性、自律性、創造性が発揮されない可能性がある。原理を訴求するにあたっては、教職員が自覚していないような言語や概念を表現する難しい作業が必要となる。その前提に立つと、本骨子案については、枠組み自体が何を指すのか、考える必要がある。
〇苫野構成員
奈須先生のお話から、学びのコンパスの図にそもそも何のための教育なのかという最上位の目的が欠けていることに気づいた。最上位概念で合意を得たうえで、名古屋市、国、グローバル共生社会の中で教育をどのようにデザインすべきかを皆で考えることが大事である。私個人はデザインするにあたって哲学的にいうと「自由と自由の相互承認の実質化」を探求してきた。教育基本法の言葉を使うと「民主的な国家及び社会の形成者」である。憲法や教育基本法を最上位にすれば、教育の最上位の目的は合意できるところまでブラッシュアップされている。その目的のために何をするのかという順序を踏まないと混乱する可能性があるため、まずはこの点で合意を取ることが必要である。
〇奈須構成員
150 年前に日本に学校ができたときは、富国強兵、殖産興業の明治維新の時代であり、近代国民国家を建設して日本が侵略されないようにすることが目的であった。そのような150 年のしがらみは現在も残っており、その点は全部見直した方がいいという点は申し上げた。そして、令和の答申の1 つの主題は、全ての子どもは幸せになる権利を持って生まれてくるという強烈な認識だと私は考える。この認識は幼児教育では普通の話で、この認識を共有することで、幼児教育と小学校以降の学校教育の連携が円滑になると考えるため確認したい点である。
〇事務局
何のための教育かという視点は骨子に追加させていただく。
骨子の一つである学びの転換が求められる背景についての事務局案を追加で説明させていただく。
受け身の姿勢では難しい時代、子どもが多様化する時代、つまり自分で選び決めていく時代において、そのような時代を踏まえた教育になっているかの問い直しが必要と考える。 その上で学びの構造転換により、幼児教育で大切にしてきたことを小中高へとつなげるといった背景の流れを考えている。
〇苫野構成員
何のための教育なのかという目的を中心に考えるという点について構成員の合意が必要であり、その点について合意がとれればフレームを変えていくという合意形成が必要という認識である。また、社会に学校が適応するというニュアンスが少し強すぎると感じている。
何のための教育なのかという目的と、社会に学校が適応するというニュアンスではなく、もっと土台のところをベースにした書き方にすることを提案したい。異論があればこの場で議論したいと考える。
〇三好構成員
幼稚園は義務教育ではないが、幼稚園に子どもを入れる一親としての気持ちは、人と人と触れ合うことで成長して欲しいという親心があり、ただ家で自由に遊ぶのではなく、人との付き合いの中で不自由がありつつも、自分の子どもが子どもらしく生きていくきっかけづくりとして幼稚園に行かせたいという、学びの入口としての幼稚園という場を求めている。
〇髙橋構成員
PTA は保護者と教職員の会であり、保護者だけではなくて、先生方と一緒に主体的に活動しようという方針で積極的に旗を振っている。本日の会議で示された主体性という方向性には賛同するが、最近の学生の方はレジリエンスが高くない方が多いように感じる。PTA は16万人近い会員がいるため、その会員と本会議の内容を共有するためには、資料が分かりやすい表現で残されるよう、議論を深めていく必要がある。
〇河合構成員
マッチングプロジェクトで紹介された、教室がつながる、自分のペースで学ぶという部分が具現化されたのは、タブレットの導入が大きく、使えるツールや子どもたちに提供できることの幅は広がったという認識であるが、伴走者としての立ち位置を教員がどのように確立するのかという点は疑問が残る。コンパスを整えたとしても、指導者としての教員がどういう転換をすることで伴走者になり得るのかという感覚がないと難しい気がする。
〇大川構成員
子どもたちのよりよい幸せ、成長を願うのが我々の教育の目指すところだという認識は皆一致しているところではないかと思う。そのうえで、何のために教育をするかという点についてフレームに落とし込んでいくための検討が必要であると考える。
構造転換や学びを大きく変えるというのは、現状の教育を否定してすべて変えることではない。今の時代に合わせて、今後の子どもたちが生きていく世の中を見据えたときに、どういったことの学びが必要なのか、資質が必要なのかを、今一度立ち止まって考えるのが今回の検討会趣旨と考える。
〇竹内構成員
子どもが毎日学校に行くことを楽しみにしており、笑顔で過ごしているという将来の情景があったらよい(事務局代弁)。
〇久野構成員
令和 5年度に検討会の最終案が確定してから各学校が動き始めるのでは遅いのではないか。検討会の議論と同時並行的で、各学校園での様々な取組が行われるように進めていくとよいと考える。各教科領域を専門的に学習している教師集団は研究会を組織しているため、本検討会の議論の状況を出せる段階で共有することで、各研究会で研究計画や研究テーマに織り込むことも可能と考える。そうすれば、令和 5年度の最終案をまとめる上で、各研究会も同じ歩調でスタートが切れると考える。
〇桝田構成員
学びのコンパスでは資質・能力等の手法よりも、教師、親御さん、社会全体の大人が、どういう風に子どもたちを考えるか、どういう育て方をするかという基本の心持を明確に出し、それを浸透させるというマインドセットの部分が一番大事であると感じる。
教員としての過去を振り返ると、これまでの授業等は先生がストーリーを考え、このようにしたいという思いを子どもたちに当てはめ、ストーリーにはまらない子もいたけれども、そこに載せていた部分もあったと感じる。
マインドをどこに定めるのかということをこのコンパスで示すことが一番大事だと考える。
〇事務局
学びのコンパスが策定される令和 5年度までの間、改善の取組が止まってしまうのかという懸念についてであるが、スクール・イノベーションとして、それぞれの学校園においての実践研究を進めていく中で子どもの主体の学びということを現在も取り組んでおり、これを授業公開やまた学習会という形で広げようとしている。学びのコンパスの策定により、こうした考えを一層広げていきたいと考えており、策定期間中も改善の取組を滞らせるものではないと考えている。
また、本日の議論の中で、最初の土台として、何のための学校教育なのかという点を押さえた上で次の議論に進むべきという意見をいただいた。何のための学校教育なのかという点を基礎に据えるという点は異論がないという認識であるが、この点について今後ワーキングで議論するにあたり、今一度、皆様からご意見をお聞きしたい。
〇苫野構成員
教育の目的について、子どもたちの幸せだけではなく、市民社会の担い手を育むという事も大事である。公教育は民主主義の一番の土台を支えるものであり、民主主義とは、自由の相互承認というのが一番大事なキーワードであるが、お互いを対等に自由な存在として認め合うことを共有する社会である。単に自由に何かやりたい放題するのではなく、お互いを対等な存在として認め合いながら、対話を通した合意形成をする機会をどれだけ学校現場で大事にしているかも同時に問われる必要がある。
各現場の教職員が今回のフレームを通して対話するのが良いのではないか。こうした対話を行うと、多くの場合は自立と尊重といったことがキーワードになる。互いを尊重しながら自立して生きるという、大きな目的を共有することで、その目的を達成するためにどうすればよいかということも、一人一人が当事者となって考えることができる。この仕組づくりをしていく必要がある。
〇奈須構成員
学校の校則の話になるが、学校の校則には改廃規定がない場合が多く、子どもたちにとって校則が不都合な場合に合理的で民主的な手続によって変えたりやめたりする手続が校則には含まれていない。この状況は法律学的には決まりではないと法学部の教授が話をされて、なるほどと感じた。決まりは守るもの、守らせることが大事だという議論と、現状に不都合がある場合には民主的な議論で変えられるようにすべきだという議論は職員の間でも意見が異なるところだと考える。このように学校の校則に改廃規程を盛り込むかといったような具体的なトピックを持ち出して、一つ一つ見直していく作業が必要ではないかと考える
子どもの前に立たないと教育ができないわけではないが、教職員はどのように子どもの前に立つかを考えてしまう。そのような思考や行動を今一度、理念のレベルで、また同時に具体の行為としても見直していくことが必要と考える。
7 事務局からの連絡事項
次回検討会議の時期等について伝達
8 閉会
以上